足りない頭で考えてみた~吃音持ちの意識低い系ブログ~

もはや便所の落書きレベル。意識低い系(笑)の代表格。足りない頭で必死に考えた色々な事を書いてます。

吃音で苦しむあなたに

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生まれてから今日までの27年間、たぶん記憶残らないような嫌な事や嬉しい事がたくさんあったと思うけど、はっきりと記憶に残ってることがある。

そして、それは今の僕そのものを形作っているものでもある。

 

僕は物心ついたころから「吃音者」である。小学生になる前に言葉の教室に連れていかれた記憶があるから吃音歴21~2年のベテランだ。

大学でいろいろなバイトをしたり、就活で苦しんだり、営業の仕事で毎日ズタズタになったりもしたけれど、そんな生活の中から「吃音」に対する僕なりの考え方が少しづつ出来上がってきた。

ネガティブな事ではなく、否定的な言葉でもなく、「吃音」は僕と切り離すことができない体の一部として、とても愛着があるものだということだ。

 

吃音になったキッカケや原因はわからない。そもそも吃音の原因が研究段階で明確な答えが出ていない。吃音者に共通すると思うのだが、キッカケは「気づいたら自分はどもりだった」ではないだろうか。

 

強烈に印象に残っている、僕自身を吃音者として決定づけた出来事がある。

小学1年生の終業式、僕は転校するため最後の挨拶のために全校生徒の前でステージに立ちマイクを持っていた。何も話すことができなかった。頭の中に電気が走り、目の前が真っ白になる。辛うじて絞り出した声は、大爆笑を呼んだ。「変な奴!(笑)」それだけハッキリ覚えている。

きっと、どもりながら何か喋ったんだと思う。今までありがとう、新しい学校に行っても忘れません。ぐらいは言ったんだと思う。でも全く記憶にない。ただ恥ずかしくて、自分は出来損ないなんだと強く恥じた、そんな記憶しか残っていない。

 

小学生・中学生と自己紹介の時や国語の音読では大変苦労した。名前が言える事なんて、恐らくない。えーっと、あのー、えー、どんなに助走をつけてもどんなにモモを叩いても言葉が出ることはなかった。

中3の冬に転機が訪れた。思い切って国語の発表の時間を使ってクラスの前で吃音のことを打ち明けた。みんな大して気にしていなかった。あっそう、それで?それがごまお君なんだから別にいいんじゃない?と。以降、吃音の症状は急激に軽減した。

ワンテンポ間は空くが、名前が少し言えるようになった(いつもではない。言えない事の方が多い)。音読では全くどもらなくなった。

 

高校生活は改善した吃音もあって、楽しく過ごすことができた。そして大学も、それなりに楽しく過ごした。接客業のバイトで多少は苦しんだこともあったけど、社会人になるための予行練習だと割り切って乗り切った。もちろん一人アパートで練習もした。

所沢にある国立リハビリテーションセンターで被験者として色々な実験に参加させてもらった。就活が忙しくなり、途中から通えなくなってしまったのは今も心残りだが、素晴らしい先生と出会えることができた。

 

就職した会社では営業になった。電話が取れなかったし、掛けることもできなかった。毎日家に帰って練習した。先輩に頼んで電話の練習をした。そして、どんなにあがいても言葉が出ない現実に、ひとり悲しく泣いた。

 

残念ながら、僕は画期的な治療方法を提示することはできない。また、吃音でも営業で成功できたというようなサクセスストーリーを話すこともできない。

あれから接客業に転職し、雇われ店長でもある程度の結果が出せるようになった。そして今は気ままにブラブラ生活している。

 

今までの生活で僕が感じたことは、ただ一つ。

吃音は紛れもなく僕自身であり、僕の体であるということだ。

あれだけ忌み嫌っていた吃音を否定することは、僕自身のすべてを否定することになる。どうあがいても切り離すことはできなくて、吃音であることが僕の個性であり存在価値になっているという事実から目を背けることはできない。

 

吃音から逃れる事だけを考えていると、大事な何かを置いてきてしまうだろう。本当に価値があるものは何かということに気づけなくなるだろう。

きっと吃音である自分が嫌で嫌で仕方がないかもしれない。死にたいくらい悩むだろうと思う。僕も何度も死にたいと思った。

でも、吃音が僕の人生を作っているのだと今は思う。吃音であるからこそ、他ではない「僕」という人生を歩んでいるのだと思う。

 

きっと吃音から解放されたら、僕の心は死んでしまうだろうと思う。

吃音の治療法が確立されたとき、僕は治療を受ける勇気を持つことはできない。