読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

足りない頭で考えてみた~吃音持ちの意識低い系ブログ~

もはや便所の落書きレベル。意識低い系(笑)の代表格。足りない頭で必死に考えた色々な事を書いてます。

理由が無いとダメ、なんてオカシイ。なぜなら理由は後付けでしかないから。

何かやるのに絶対といっていいほど、理由を聞かれます。必ず聞かれる。

なんでそれをやりたいのか、なんでそう思ったのか、何か行動を起こすためにはイチイチ理由を説明しなければ周りは納得してくれません。

でも、何かやるのにちゃんとした理由なんて無くていいと思う。相手を納得させる理由を述べる必要なんて全くない。相手を納得させる必要もない。

 

理由なんてなくて当たり前だ。だってやりたいと思っている人たちは、始める段階ではなんとなく良いなって思っていたり、ただ単純に楽しそうだからって理由ぐらいしかないから。
誰かを納得させるような論理的な理由なんてそもそもない。

 

楽しそうだから、やってみたいと思ったから、とういう理由ではなぜダメなのか?

 

そこには、人間は理論的に考えて、或いはしっかりした戦略を持って生きていると思っている前提があるからだ。
戦略を持った、しっかりとした人生設計を持っているのが良いという思い込みだ。

 

僕が思うに、人間は理論的でも戦略的でもない。すべて感情に基づいて動いている。

理論や戦略というのは、感情に基づいて行動したときに、自分の行いを正当化したい為の後付けだ。人間は感情で判断する。

感情的という言葉にはマイナスのイメージがついている。でも別にいいじゃないか。感情的でなにが悪い。

理由が無いとダメだなんてのも、自分は理論的に考えているんだと思いたいだけのこと。

理由なく何かをやろうとしている人を見てなにか反抗したくなるから、もっともらしい意見をぶつけてるだけ。それも論理的なことを。

 

やりたいこと自由にやろうぜ。興味があるならとりあえず飛びついてみる、違ったなと思ったらまた別の事に飛びつく。楽しいぜこういう考え方。

 

こういってると、一つの事に取り組めないのはクズ、みたいなこと言う人がでてくるけど、そんなのお構い無し。
次から次へと新しい事に取り組んでいるのは継続性が無いとか一生懸命取り組んでないとかってのは間違いよ。

だって自分に合っているか、自分が思っていたのと同じかなんて、一生懸命取り組んでみないと絶対分からないから。
一生懸命取り組んでみて、ありゃこれ違うな、と思ったのなら、やることを変えるなんて問題ない。

 

やりたいことをやって生きる。最高な人生じゃないか。