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足りない頭で考えてみた~吃音持ちの意識低い系ブログ~

もはや便所の落書きレベル。意識低い系(笑)の代表格。足りない頭で必死に考えた色々な事を書いてます。

個性は武器になる。ならば吃音は武器になるのか?

個性は武器になるという。

個性がある、個性的という言葉にはプラスの意味が多く含まれる。

 

障害があるというのは、しばしば他の誰にもない個性を持っている事としてプラスに捉えられることがある。そして、テレビやメディアでは障害があることを全面に押し出し、それが個性でとても良いことだとすることもある。

 

それ自体を悪い事だとは思わない。

 

ただ、自分自身、吃音と20数年付き合ってきて、吃音が武器になったことがあったか? と考えると、申し訳ないが武器になったことは一度もないように思える。

 

 

武器になったどころか、常に足を引っ張る存在であったようにも思える。

僕個人にとって、吃音は武器になる個性なんかじゃなかった。

いや、たしかに吃音は個性かもしれない。

 

でも、武器にはならなかった。

 

 

 

この世の中には、とても心の広い人たちがいる。

 

僕が吃音で困っていても、「それも個性だよ」「あなたにしかないキャラクターだよ」「吃音だからといって、あなたの価値が損なわれることはないよ」と、優しい言葉を掛けてくれる人たちだ。

 

こういう風に言ってもらえるのは素直に嬉しい。
本当に救われる。

 

ただ、いくら吃音が個性だと言ってくれても、僕の人生で吃音がプラスに作用したことは今までほとんどない。

 

自己紹介で名前が言えない、電話対応ができない、お礼を言いたくても「ありがとう」が言えない・・・。
怪訝な顔をされ、なんでそんな簡単なことができないのか?と疑問に思われることの方が多かった。

吃音だったから何かができたとか、こんな良い事があったというのはなかった。
吃音だったことによって起きるマイナスのことばかり。

 

果たして個性は武器になるというのは本当だろうか?

個性が武器になるというならば、なぜ吃音は武器にならないのだろう?

 

 

しかし不思議なことに、もし仮に「明日から吃音の症状が無くなります。もう悩む必要はありません」と言われたら、僕はもの凄く悲しい気持ちになる。

 

今まで僕という人間を形作ってきた大事な何かが無くなってしまうからだ。

 

 

吃音は武器にはならなかった。

だけど、僕という人間を作るうえで何にも代え難い重要な個性であったことは確かだ。

 

 

僕が僕であるのは、吃音であるからだと思う。

 

吃音は僕にとって武器にはならなかった。でも、それでもいいじゃないか。

 

吃音があるからこそ、僕は僕でいられる。